川崎市-大邱市・産業交流ミッション団同行記

奥宮 京子

 1.産業交流ミッション団
本年4月18日から21日まで、川崎市官民合同産業交流ミッション団の一員として、韓国大邱(テグ)市を訪問した。
このミッション団は、川崎市内企業の高い技術力と潜在力をピーアールし、アジアの企業との交流を強化するために、川崎市が派遣したもので、市内の産業関係者を中心に参加者を公募した。私は、監査委員として川崎市の仕事をしていることから、市内の産業経済の動向に関心があったので、応募参加した。
ミッション団は総勢31名で、団長である市長はじめ市の関係者、市産業振興財団や神奈川サイエンスパーク等の企業育成に携わる団体の方、市内に事業所を持つ大手企業の方、市内中小企業の経営者、神奈川科学技術アカデミーの研究員等、実に多彩であった。

2.大邱市
大邱広域市(広域市とは、釜山、光州など韓国に7つある自治体で、「道」と同格の権限を持つ広域自治体。)は、韓国嶺南地域(東南部)の内陸に位置し、ソウル、釜山に次ぐ、韓国第3の都市である。人口254万人、面積885.7km2で、繊維などの伝統的産業に加え、近年はハイテク産業も盛んになっていて、テクノパークの設置や工業団地の建設が精力的に行われている。大学修学能力試験の成績は全国最高というように、教育熱心な都市であり、文化・スポーツにも力を入れている。2002年のワールドカップの試合が行われたことは記憶に新しい。 テグ空港からホテルへ向かうバスの車窓から見た市内は、緩やかな山に囲まれた盆地で、画一的デザインの高層オフィスビルや高層マンションが立ち並んでいた。市内には2本の地下鉄があるが、主たる交通手段は車のようであり、広い道路(有事には戦闘機の離着陸もできるとか。)を、沢山の車がかなりのスピードで走っていた。
到着当日、地下鉄に乗り、街の中心部を歩いてみたが、人口密度は低く、電柱と電線がないため、街の風景はすっきりしていた。駅構内や道路は、清掃が行き届いていて綺麗だった。

3.経済交流協力了解覚書締結とシンポジウム
2日目の午前中は、大邱市役所を訪問し、両市間の経済交流協力了解覚書の調印に立ち会った。
午後は、展示コンベンションセンターで経済交流提携記念シンポジウムが開催された。
シンポジウムでは、まず、阿部孝夫市長が講演し、川崎市の地理的利便性、産業・技術・人材・最先端研究開発機関の集積、環境技術移転促進策等を説明し、良好な投資環境をアピールした。 その後、ミッション団参加者が、環境技術や対策をテーマにした基調報告を行った。
JFEスチール(株)からは、「循環型社会の構築を目指したリサイクル事業への取組み」と題して、製鉄プロセスにおける使用済プラスチックの利用とCO2の削減効果の説明があった(高炉に入れる還元剤を、従来のコークスから粉砕した使用済ペットボトル等にする。そうすることにより、従来、FeO2+C→Fe+CO2だったのが、FeO2+CとHの化合物→Fe+CO2+H2Oとなる。)。また、川崎臨海部の複数企業間で互いに廃棄物や副産物をやりとりし、それを資源として事業を行うという取組みも紹介された。かつて高度成長期を支えたコンビナートの図式であり、その後公害訴訟において共同不法行為の根拠とされたものが、環境対策事業のネットワークとして示されていることに、感慨を覚えた。
(財)神奈川科学技術アカデミーからは、同アカデミーの藤嶋昭理事長他が発見し、同アカデミーが、その研究開発や技術指導を行っている光触媒技術が紹介された。光触媒技術は、酸化チタンに光を当てると、有機物を分解する活性酸素が発生し、かつ超親水性となることを利用する技術であり、高層ビルのガラス窓、農業廃液浄化等に応用されている環境に優しい技術である。
味の素(株)からは、「環境・地域共生型事業所を目指して」と題する報告があり、製造施設更新と新研究施設建設に際し、環境影響評価条例(アセス条例)をクリアした経験に言及し、事業者も市環境局も、事務手続きの効率化を図りながら精力的に審査を重ね、事業日程に遅れは出なかったと報告した。川崎市は、1976年に全国に先駆けてアセス条例を制定したが、これを1999年に改正し、事業者の提出する地域環境管理計画の評価項目に地球環境項目や化学物質等を追加し、管理計画の策定にあたって市民意見を反映する手続きを設ける等、持続可能な社会に向けての強化を行った。私は、1999年改正の際、検討委員として答申に関わったが、斬新な内容である反面、運用には困難が伴うだろうと考えていた。大規模事業所において、アセスに正面から積極的に取り組んだ経験と成果が、海外に向けて発信されたことは、嬉しいことだった。
基調報告の後は、日韓両国のパネラーにより、「産・学・公・国際連携によるアジアの地域発展戦略ー環境・福祉・成長」のテーマで、パネルディスカッションが行われた。韓国側(アジアサイエンスパーク協会会長、テグテクノパーク戦略企画団長等)からは、両国間に難しい問題があること(滞在中、竹島海域調査問題が起きていた。)や対日貿易赤字の問題(車や携帯電話等の韓国製品には、日本製の部品が多く使用されているという。)に言及しつつも、「都市間の水準の違いを理解して尊重しあうことが大切である。」、「環境に配慮した都市や技術を追求するということは両市に共通。」、「バイオ、機械部品、環境リサイクル等の技術交流ができればよい。」、「黄砂などの環境問題や高齢化社会問題にも、連携して解決に当たるべきではないか。」等の発言があった。日本側からは、「国際提携を進める上で、避けて通れないのは知的財産権の問題。両市間でクロスライセンスとまでいかなくとも、提携ができないか。」、「貿易赤字は2国間で考えるべきではなく、多国間連携まで含めて考えるべきではないか。」等の発言があった。

4.テクノパーク視察
3日目は、大邱テクノパーク、ベンチャービル、慶北大テクノパークの視察を行った。
最初に訪問した(財)大邱テクノパークは、ベンチャー企業育成を通じて地域産業構造の先端技術産業化を実現するため、1998年に、韓国産業資源部、大邱市、慶北大学等が出資して設立された財団法人であり、事業空間や装備の提供、資金支援、融資斡旋、技術や事業化の指導等を行っている。2003年に、川崎市にある(株)神奈川サイエンスパーク(神奈川県と川崎市が共同出資した国内最大級のハイテク・インキューベーター)と提携関係を結んでいる。 大邱テクノパークビルは、東大邱駅から幹線道路沿いに広がるベンチャーバレーの中心にあった。その中に入居しているウインテック社を訪問した。消防システムを開発しているベンチャー企業で、当初8名だった社員は現在64名、韓国全土におけるシェア80%までに成長し、東南アジアや中東へ販路拡大中ということである。颯爽とした女性社長が応対し、ミッション団参加企業の富士通(株)とも取引があると話していた。
次に、市内の工業団地の中のベンチャービルを訪問した。これも公的資金により運営され、<1>製造業、<2>ベンチャー認証(技術評価点が高い、売上の5%以上研究費、ベンチャーキャピタルからの支援)、<3>事業可能性、<4>雇用可能性の入居条件をクリアした企業が、格安の家賃で入居しているという。1区画約100坪で、厚生施設としてスポーツジムなどもあった。IT製品を製造している入居企業2社にも訪れた。
3つ目に国立慶北(キョンブク)大学内の慶北大テクノパークを訪れた。土地は大学が提供、建物は、中央政府、大邱市、民間企業の出資により建設されたもので、事業化の見込みのあるプロジェクト(前述の大邱テクノパークやベンチャービルに入る前段階のもの)を育成するインキュべーションセンターである。1区画40~80m2で、数十のプロジェクトが入居しているという。事業化の目途がついた段階で、大邱テクノバークやベンチャービルに移転していくということであり、ベンチャービルで訪問した1社は、ここから移転していった企業ということであった。
大邱テクノパークと慶北大テクノパークは、神奈川サイエンスパークを参考にして設立したということであるが、国家的な産学官提携の取組みにより、大きく発展しているようである。藁の上から逞しい成人になるまで、成長段階に応じて各施設が連携して育成しており、その結果、IT関連を中心に多くのベンチャー企業が集積するという印象であった。もっとも、公的資金で、どのような範囲の企業をどこまで支援するかについては、課題もあるらしく、ベンチャービルでは、居心地の良さに安住してしまうのが問題との話もあった。

5.慶北大キャンパスと慶州仏国寺
前述の慶北大学は、13の単科大学と10の大学院からなる学生数2万3000人の総合大学で、大邱市内に、広大で緑豊かなキャンパスを持つ。テクノパークの建物までは、専用のバスに乗って構内を巡りながら行った。工科大学2年生という男子学生が乗り込んで、ユーモアをまじえながらガイドしてくれた。ヨン様ほどではないがハンサムで、屈託がない。韓国版新人類であろうか。
法科大学の前を通ったとき、「法心如秤」と彫られた碑があった。ハングル文字ばかりの中でほっとするとともに、法律家の精神は共通なのだと思った。 3日目の夕刻、日程外であったが、一部の参加者とともに、慶州の仏国寺(ブルグクサ)に行った。緩やかな山並みの間の、ところどころに満開の桃畑が見られる田園地帯の高速道路をタクシーで約50分、修学旅行の小学生で賑わう仏国寺に着いた。
仏国寺は、751年に建立された新羅時代の古刹で、世界遺産に登録されている。山門には四天王像が立っていたが、極彩色に塗られているせいか、怖さは今ひとつ、ユーモラスな感じさえした。「白雲橋」等という名の石段を昇っていく伽藍は荘厳である。本堂と塔の配置や回廊の柱は、法隆寺と似ているようだ。建物の一部は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に焼失し、再建されたものということである。日本語のできる年配の男性ガイドさんが、石塀の基礎の焼けこげた痕を指し、「これは秀吉に焼討ちされた時のもの。」と説明した。同行のH氏は、「本当だろう。」とおっしゃっていたが……

6.帰国
最終日は、東大邱駅からフランス製の高速鉄道KTXに乗り、ソウルまで行った。KTXは、2004年4月に開通し、ソウル・釜山間を2時間30分で結んでいる。スマートな車体で、揺れも少ない。大田(テジョン)・ソウル間で、車内の速度表示が320kmになったということだが、私は、前夜に韓定食をいただきながらマッコリを飲み過ぎたため、眠っていた。
ソウル駅からはバスで金浦空港へ、帰国の途に着いた。往復とも羽田空港利用し、本当に便利で近い国である。

7.むすび
私は、以前から、研究会や講演会の場で、韓国の法律学者や裁判官のお話を聞くことがあった。日韓の法制は大陸法系であるため、法律の条文も似通い、法制度や運用における論点も共通なものが多く、親近感を持っていた。
今回は、自治体主催の産業交流に参加したわけであるが、韓国の企業育成事情や自治体間の国際的経済交流を見聞する等、法律家との交流とは異なる体験をした。また、昨今の地方分権化の流れの中で、自治体独自の産業経済政策の一例という観点からも、ミッション団の試みは興味深いものであった。さらには、かつての公害問題の体験を環境技術に転換し、「環境技術立国」を形成しつつある日本産業のポテンシャルも実感したことである。

※本稿は、「第一東京弁護士会会報」7月号に掲載したものに加筆したものです。

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