弁護士紹介 大野渉

アソシエイト

コラム

職務質問の話

「職務質問」という言葉をよく耳にされたことがあると思うが、この「職務質問」というのは、実は、法律上の規定に基づく「質問」である。
警察官職務執行法第2条第1項には「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することができる。」と定められている。
ひょっとしたら、皆さんの中にも、深夜にふらふらと自転車に乗っていると、警察官に呼び止められて、いろいろ聞かれた経験があるかも知れない。
先ほどの条文によれば、そのような経験のある方は、おおよそ犯罪を犯したのではないかと考えられる挙動不審者(上記の例であれば自転車泥棒といったところか)であるという理由で質問されているはずなのであるが、十中八九の方は、自ら素直に「停止」して質問に応じただろう。
私も、司法試験受験生の時分に、真冬に黒いダウンジャケットを着て、黒い帽子を目深にかぶって、自宅の前の塀に掛けられている箱(警察がパトロールに来るたびにその箱の中の紙に巡回記録をつけているらしいことを知っていた)の中味が無性に見たくなって、蓋を開けて中を覗いていた時のことである。そこへパトロールカーが通りすがり、警察官が大急ぎで近寄ってきて、「何しているんだ」と詰め寄られたことがある。もちろん私は、その場で「停止」し「この家の者です」と答えた。
ところで、先ほどの条文にある「停止させて」の意味については、警察官が素直に「停止」しない者に対してどの程度の強制力を持って停止させられるかが、大まじめに議論されている。
なぜ、このような問題が大まじめに議論されるのか。皆さんの中にはそもそも、道端で警察官から職務質問をされたら停止しなければならない、質問に答えなければならないと思い込んでいる方も多いかも知れないが、その「そもそも」は間違いである。
職務質問と同時に行われることがある「所持品検査」についても、判例によって、一定の厳格な要件を充たせば、職務質問に付随して行うことができるとされているが、判例も所持人の承諾を得て行うのが原則であるとしているのである。
驚かれた方も多いかも知れないが、法律は、人権保障のために、国家権力の行使に一定の歯止めをかけているのである。先ほどの警察官職務執行法第2条第3項にも「前2項に規定する者は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。」とあくまでも職務質問が任意のものである(強制されるものではない)ことをきちんと規定している。
大袈裟だなと思われるかも知れないが、職務質問くらいならまだいい。犯罪の嫌疑をかけられて逮捕された被疑者のことを考えると非常に分かりやすい。このような局面におかれた者は権利の大切さを痛感する(このような権利が問題になるのは国家権力との関係でありその典型は刑事事件である。民間の争いごとである民事事件では基本的に問題とならない。但し、民間でも、ひとたび契約をすれば権利義務が発生するのであり、これが相手方に対する「権利」であるという側面においては類似する)。弁護人を選任する権利、警察署などの留置場に拘留されている被疑者が弁護人と自由に接見する権利、裁判を受ける権利など種々あるが、これら権利は刑事訴訟法などの法律に定められている。もちろん、これらは実際に犯罪を犯していようがいまいが保障される権利である。自らの権利を知っておくということはとても大事である。
何も知らないというのは怖いものである。そういう私も、タイに行ったときのことである。夜、友人と数人で食事をしてお酒を飲んで、ホテルへの道を歩いていると、突然2人組の警察官に呼び止められた。我々が日本人であることが分かったのか、英語で話しかけてきた。警察手帳を示され、「麻薬捜査官だ、パスポート、財布、とにかく鞄の中の物を全て見せろ」と言うのである、というよりは、言っているようなのである。
日本の法律については若干の素養があってもタイの法律に関しては全くの素人である我々は、そんな義務があるのだろうかと思いながらも、おいそれと鞄の中味はもちろんのこと、パスポートを提示し、財布の小銭入れ、札入れの中まで全て彼らに見せた。
一通り確認した彼らは我々を解放してくれたが、私は、疑いが晴れてよかったと心からホッとしたのである。
ところが、驚いたことに、ホテルに着いて財布の中味を確認すると、私の財布からは1000バーツ札が13枚も抜き取られていたのである(当時のレートで日本円に換算すると4万円弱である)。お分かりかと思うが、麻薬捜査官であると名乗った彼らは麻薬捜査官でも何でもなかったのであり、手品師のように手先が器用なただの詐欺師か盗人だったのである。
日本に帰国してからこの話をすると、日本人観光客にありがちなカモではないか、法律家なのに情けない話だ、と酷い言われようであった。いや、仮にこれが日本での出来事であれば、プライバシー権を盾に、そもそも所持品検査にはおいそれとは応じなかっただろう、きっと。
法律相談などを受けていると、よく分からぬままに、自らの権利を権利とも知らずに放棄したり、行使し損ねたりすることは、実はよくあることである。
最近、バラエティー番組で法律問題を扱ったものが多いが、身近な法律問題について、とんだ誤解をしていることは案外多いものである。身近な法律問題に興味を持っていると意外と役立つかも知れない。

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