弁護士紹介 田辺信彦

パートナー

コラム

眠法・軽法・笑法(3)〜贈賄〜

2003年3月

その裁判の行方には、多額の金がかかっていた。裁判に負けると、被告は破産するほかなかった。裁判所の廊下で被告が裁判の見込みを弁護士にたずねた。
「そうですね。判事次第でしょう。でも率直にいって私には彼がどう判断するかまったくわからないんです」弁護士が答えた。
「どうだろう。私の名刺をそえて判事に上等な葉巻を一箱贈ってみたら」被告が示唆した。
「とんでもない」弁護士はびっくりして叫んだ。「あの判事はそういうことには実に厳しい人なんですよ。そんなことをしたら、彼はあなたに偏見を持つことになってあなたが負けることは確実です。あの判事にはほほ笑みかけることでさえも控えなければなりません」
 数日後、判決がくだされた。被告側に好意的な判決だった。
 被告は弁護士と一緒に裁判所を出ながら言った。
「助言どうもありがとう。あの葉巻の件は実に役に立ったよ」
「言ったとおりだったでしょう。もし、葉巻なんか贈っていたら、私たちが負けることは必至だったでしょうよ」弁護士が言った。
「でも私は葉巻を贈ったんだよ」雇い主が答えた。
「えっ、贈ったんですって」弁護士は唖然とした。
「そうさ。そのおかげでわれわれは勝ったんだ」
「わかりませんなあ。不思議なことがあるものです」弁護士は途方にくれたように言った。
「なにもわからんことはないさ」雇い主が答えた。「私はただ相手側の名刺をそえて贈っただけなんだ」

ー植松黎編・訳「ポケット・ジョーク7おまわりと泥棒」145頁、146頁ー

〔参照条文〕

刑法第197条<1>
公務員又は仲裁人が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の懲役に処する。
同法第197条の3<1>
公務員又は仲裁人が前2条の罪を犯し、よって不正な行為をし、又は相当の行為をしなかったときは、1年以上の有期懲役に処する。
同法第198条
第197条から第197条の4までに規定する賄賂を供与し、又はその申込み若しくは約束をした者は、3年以下の懲役又は250万円以下の罰金に処する。

もう20年以上も前のことになるが、商社マンのO氏から訴訟の依頼を受けたことがあった。同氏は一流総合商社に勤務するダンディで有能な人物であったが、訴訟が始まるなり裁判官に賄賂を贈らなくても大丈夫かと真顔で聞いてきた。一体何を言い出すのかと怪訝(けげん)な顔をしていると、同氏はそれまで南米や東南アジアで勤務し、会社が当事者となった裁判にも関わりを持ってきたが、発展途上国で経験した裁判ではこちらが正しくてもそれなりの賄賂を送らないと敗訴することがあり、一方、こちらが負け筋の事件でも贈り物で勝訴することもあったというのである。だから裁判も金次第なのではないかという質問になったわけなのであるが、私は即座に「日本の裁判官に限って賄賂で左右されることはあり得ないし、そもそも日本の裁判官が賄賂を受けとることなどあり得ない。」と答えた。
最近でこそ「これは結論が少しおかしいのではないか」と思う判決に偶に遭うこともあるが、当時は日本の司法に対し絶対の信頼を置いていたので、日本の裁判官の高潔さ公正さを熱心に説いた記憶がある。

賄賂は公務員に対するものでなければ処罰の対象にはならない。
法律相談でこういう話を聞いたことがある。東京のあるデパートの地下の売場に店を出している魚屋が2つあった。1つは、職人気質の爺さんが経営する魚屋でいつも鮮度の良い魚を安い値段で置いていた。そして客の人気も高かった。もう1つは50絡みの脂ぎった経営者が経営する魚屋で、それなりに良い品を置いてはいたが、鮮度も普通で値段も安くはなかった。外にも都内に2、3店舗の店を経営する50絡みの経営者は、始終デパートの担当者をゴルフや飲食に誘い、接待・供応を続けていて、担当者の覚えが目出たかった。一方爺さんは良い品を安く売ることを大事とするものの、デパートの担当者の機嫌をとるようなことは一切できなかった。ある日のこと突然に、爺さんが経営する魚屋は、デパートから売場を条件の悪い場所に変更することを求められ、これに応ずると次には売上げの減少を理由に売場の撤去を求められた。そして、たった1つしかない店を閉まうことになった。これをけしからんと感ずるか、それとも経営環境に応じた企業努力を欠いていた爺さんにも落度があり、弱肉強食は世の習いでやむを得ないとみるかは人様々であろう。デパートの担当者は公務員ではないからいくら賄賂をもらっても処罰されない。ただし、売場を貸す相手の選別につき善良な管理者としての注意義務を怠っていれば、デパートに対し民事上の責任を免れ得ないことにはなる。

相手から要求されて賄賂を贈る者の心理は複雑で暗く、決して気持ちの良いものではないかもしれない。しかし、贈賄者の方が積極的で、放っておけば目的を達成できない場合に、賄賂によって収賄者を自分の思いどおりに動かし、その結果目的を達成できたとすれば、その者の心理は痛快そのものなのではあるまいか。
他方、他人の「賄賂」によって自分の利益を害された「被害者」はその事実を知ったとき、憤懣やる方ないに違いない。

人が欲しがるようなものは「賄賂」に該る。
「人間は金貨ではないから誰にでも気に入られるとは限らない」といったのはロマン・ロランだが、金貨やお金を嫌う人はまずいない。したがって金銭が「賄賂」に該ることはもちろんだが、そのほかの財物、経済的利益も「賄賂」に該る。情交も「賄賂」に該る。
効果的にはしたいが表沙汰には出来ず、証拠が残らないようにするため、賄賂の渡し方も中々気を遣うものらしい。
山川とおるという作家が「鹿島の大番頭 祖父喜三郎の思い出」という本を書いたが、鹿島守之助の右腕と言われた渡辺喜三郎の人物像を描いたこの本には「誰にいつどこでどのようにいくら渡すか。これは非常に難しい仕事です。渡す金額が少なかったり、タイミングが悪ければそれまでの苦労が水の泡になります。それに何より渡す相手を選ばなければなりません。力のない人に渡しても何の役にも立たないのです。」と記されている(53頁)。また「時には現金以外の物が、威力を発揮する事があります。」とも記されている(同頁)。賄賂にもいろいろあるが、東南アジアの某国の大統領夫人が真珠が大好きであると知って、その商品が高価であることで知られている銀座の和光にあるだけの真珠を全て買占め、それをそのまま大統領夫人にプレゼントして、河川開発工事を受注した旨の記載(同54頁)に至っては賄賂のスケールの大きさに感心するばかりである。

  • ※この記事は「たなべフォーラム」第4号(平成8年5月15日発行)に掲載されたものを転載したものです。

戻る